上田市祇園祭の起源
眞田昌幸の時代(1583年)より上田城の築城に着手、
城下町を形成され海野町・原町・鍛治町・紺屋町と町人文化が形成され、
上田城築城を祝うお祭りが起源と言われる。
祇園祭は、京都だけでなく、全国にもある。
祇園祭が厄よけの祭りであったこと、
スサノオノミコトを祭神とする神社が各地に数多く存在することなどと
関連しているようだが、どの地域の祇園祭も、京都のそれに倣い、
山車や神輿(みこし)が町を練り歩くケースが多い。
神の力にすがり悪霊を退散させる祭りとも言われている。
この様な神話が結びついて、素盞嗚尊は疫病除けの神様として
お祀りされて来たといわれています。そして祗園祭、
お天王さんといわれる素盞嗚尊のお祭は夏の最中、
疫病や厄災を祓うお祭として全国で奉斎されて参りました。
上田城築城を祝いながら上田祇園祭も始まったと聞きます。
上田市誌によると、お舟の天王山車は、寛政12年(1800)の造作。
全長8・6m、幅2・1m、高さ5・1mの舟の下には車が付き、
祇園祭の時には花形として海野町などを引き回されていた。
伝統の祇園祭!
上田祇園祭とは上田の夜をみこしが彩る
上田祇園祭が今年(平成26年7月19日(土))に80基を超える
樽神輿と宮神輿が混在する全国でも珍しい祇園祭です。
各趣向を凝らした神輿や花車が中央商店街に
繰り出し上田祇園祭を盛り上げます。
中央商店街や上田駅前へ賑やかに繰り出します。
上田の夏祭りは祇園祭が皮切りに…。
毎年、沿道の見物人も含めておよそ4万5千人が参加しています。
各趣向を凝らした神輿や花車が中央商店街に繰り出し
上田祇園祭を盛り上げます。
詳細は上田市役所 - 信州上田観光情報 夏
2016年NHK大河三谷幸喜脚本『真田丸』決定!され、上田城築城400年祭の様に
各町はもとより近隣の伝統文化が上田史跡に一同に集まり登城する壮大なイベント
と同じく祇園祭も本来の起源に戻し祭り広場とし、
他県からの大勢来客を集める事が関与ではあるまいか?希望する。
40年前東京代々木公園に「日本の祭り」と題し全国から伝統文化一同に集まり
祭りの凄さに身震いと感動し神事ごとに魅了された。
堺雅人さんが真田信繁(幸村)役に決定!
大河ドラマ『真田丸』
鶏が集まる処に、噂のかぶらやあり!
お近くへお越しの際にはぜひ一度
お気軽にお立ち寄り下さい。
「ひと時の癒し」をお膳立て致します。
趣をそえ、心づくしのおもてなし、
満足をお土産に…女将
上田城金箔鯱瓦 復元の経過
真田氏時代の上田城の建物には金箔が施された瓦
が使用されていました。城跡から出土した瓦
(鯱瓦、鬼瓦、鳥衾瓦)では、実際に金箔が見られます。
残念ながら、真田氏が築城した上田城は関が原合戦後に
徳川家康により全て破却され、
往時の姿を見ることができません。
復元された「上田城金箔鯱瓦(きんぱくしゃちかわら)」を
上田市役所本庁舎1階ロビーに展示
本日もお読みくださり有り難うございます(=^0^=)
また遊びに来てください!
明日も良い一日でありますよう…。
続く…。