私も若いころ中るゆえに壁に苛まれ、何の為に弓を射るのか解らなく成ったことを思い出す。
一般の地方大会へ出向き入賞し賞品を持ち替えても心が弾まないのはなぜか?
ただ弓を引き、的に中れば良いだけなら、昔なら草原へ行って野鳥を狩りして腹の足しに
すれば良い事でただ飯を食い、生きならいているに過ぎず、現代の弓の道とは遥かに遠く、
弓道の最終到達地点を表す言葉『真善美』が問われ、
正しく射られた矢は、必ず的に当たる。「正射必中」
邪念が無く、静かに落ち着いて澄みきった心の状態のたとえ。「明鏡止水」
自身の生き様を自然体で歩み、大自然なかの一部の空間に己を諌め、欲、見栄を捨ててこそ、
知性(認識能力)、意志(実践能力)、感性(審美能力)のそれぞれに
応ずる超越的対象が真善美であることに気付いた者こそが、どんな仕事にせよ喜び知る。
…わが身の反省より
離せば中る時期があり、金的を射とめる。!