上高地・軽井沢・安曇野・善光寺・
真田幸村は知っているが、
上田市へ行ったことがない!ホントo(゚Д゚)
かつて、七つの櫓が本丸を取り囲み、「百間堀」に水を満々とたたえていた、
外堀は東西を矢出沢川で固め、東を蛭沢川で、
南を千曲川の分流である尼ヶ淵に面していた上田城。 (名古屋城に匹敵する)まさに自然の要塞真田氏が徳川軍と 二度にわたる戦いで、
天下にその名をとどろかせた名城でもある。
首都圏を中心に一日100台から200台の観光バスがお越しくださいました。 市内の道路は渋滞、渋滞、渋滞、
写真を撮るにも一苦労です。
旗印である六紋銭(六連銭=六道銭)"不惜身命"の決意と呼ばれ 現代にもその名を残してる。 「真田日本一の兵(さなだひのもといちのつわもの)」 首都圏を中心に一日100台から200台の観光バスがお越しくださいました。
市内・幹線道路、渋滞!嬉しいことです。
猿飛佐助、霧隠才蔵、三好清海入道、三好伊三入道、穴山小介(穴山小助)、
由利鎌之助、筧十蔵、海野六郎、根津甚八、望月六郎の10人
かつて、七つの櫓が本丸を取り囲み、「百間堀」に水を満々とたたえていた、
外堀は東西を矢出沢川固め、東を蛭沢川で、南を千曲川の分流である
尼ヶ淵に面していた。上田城。(名古屋城に匹敵する)
まさに自然の要塞真田氏が徳川軍と二度にわたる戦いで、
天下にその名をとどろかせた名城でもあ。
旗印である六紋銭(六連銭=六道銭)"不惜身命"の
決意「真田日本一の兵(さなだひのもといちのつわもの)」と呼ばれ
現代にもその名を残してる
(千曲川は新潟県に入り信濃川は日本一長い河川)
市街の中央に千曲川清流、右岸には大扇状地、
上田城を中心とし市街地が形成せれた城下町。
太郎山~虚空蔵山かけ「逆さ霧」 の気象現象は雄大で幻想的である。
山裾の森に苔生した古塔や寺院・神社仏閣など史跡遺跡を残し
風情を醸し出している。 歴史的文化遺産など文化財多く
「美しい日本の歴史的風土準100選」選定される。
リゾート地、山々が連なり盆地を形成しています。
戦没画学生の遺作を展示する無言館、信濃デッサン館点在する。
塩田平・別所温泉などの歴史文化が息づく古都地です。
又、近郊の地区には、豊かな自然や機構風土の中でつくらた食材を
地産食材が
環境に適し自然の恵みを受け、まさに自然の宝庫です。
上田は、一年を通して少雨地帯で晴天の日が多く信州なのに、
雪も大して降らないですよ。季節の寒暖の差が大きいため、
四季の変化がはっきりしています。
上田市は、平成18年3月6日に、上田市、丸子町、真田町、武石村が合併し、 人口16万人の新上田市誕生しました。北は上信越高原国立公園の菅平高原、 南は八ヶ岳中信高原国定公園に指定され、美ケ原高原などの山々に囲まれ、 近隣の各市町村には、心も体も癒してくれる温泉、緑豊かな大自然で
リフレッシュしてみては、古き良き時代の産物を見ながら当時の
長い歴史に育まれた数々の文化財や遺跡を探索できる
名所・旧跡と大変多くの見所が点在しています。
澄んだ空気ときれいな水があり、自然の中に箱庭を置かれた様な場所です。
又、映画のまち“信州上田”ロケ地としても多くの作品が作られており、
交通アクセス(長野新幹線・しなの鉄道・別所線の時刻表)
上田の歴史や文化は、そこかしこにあふれいたる処で旅人の行きかう街、
旅の楽しみは人々との出会いと地元ならではの味。
近くの城・神社・寺を歩いて見ると、そんな心踊る楽しみに出逢えそうな~。
上田駅より北上し、松尾町→原町→房山の交差点を
旧家が立ち並ぶ「保命水」の交差点を左折し、蛭沢川(ひるさわがわ)と
しっとりと佇む「かぶらや」がり、四つ角に紺屋町公会堂。
左折か直進すると上田城址公園に至ります。
平成24年4月29日に開催されました。
今年は、出陣の儀が上田城櫓門前で行われました。
出陣セレモニー~信州上田真田陣太鼓保存会により歓迎太鼓が披露され、
上田城を目掛けて徳川秀忠軍が進軍
真田軍と徳川軍の攻防が始まり幸村に続き十勇士、真田軍、
信之と幸村の対決と、上田の地は守られ、
幸村と信之は背中合わせに刀を突き上げる。
そして出演者全員が勝どきを上げる。
帰陣の儀で戦国絵巻の終演と画像がアップされてます。
上田城跡公園内の真田神社前に奉納れている。
確かに言い伝えの太郎山中腹辺りに石垣の縦穴あった。
私も(この辺の子供は)中学時代に御来光の帰り道探しました。
上田城本丸東虎口櫓門の正面右手の石垣にある.
高さ約2.5m・横約3mの大石、
真田昌幸が築城の折り柱石として据えたものと伝えられ
真田石と呼ばれている、
真田信之が松代へ転封に当たって父の形見に持ち運ぼうとしたが、
大勢の人の力をもってしてもびくとも動かなかったと伝えられる
上田城の石垣の石材の大部分は市街地北方の、
太郎山産の緑色凝灰岩(りょくしょくぎょうかいがん)です。
上田市民がこよなく愛する山
我が家にも基礎石として使われていました。
市内の蔵や土蔵に多く見られる。
まぁー石垣を頼りに探せば分かる事ですが?
趣をそえ、心づくしのおもてなし、満足をお土産に…女将 信州上田地域の旅はどうでしたかのう。 皆さんが充実した旅に満足して帰途についてくださればこれ幸いじゃ。 また来てくだされや。いつだも歓迎じゃ。 幸村は待っておりますぞ。 観光マップエリア情報
続く…。
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