2012年8月15日水曜日

終戦の日 なぜ8月15日が終戦記念日になったのか

終戦の日 なぜ8月15日が終戦記念日になったのか

なぜ8月15日が終戦記念日になったのか

http://d.hatena.ne.jp/Pada/20110815/1313461945 より抜粋

日本人の多くは8月15日が終戦記念日と記憶している。しかし、この日は国際法上はまったく意味を持たない日である。
国際的には降伏文書が調印された9月2日が「戦勝記念日」と設定されている。ではなぜ、
8月15日が終戦記念日として日本人に記憶されるようになったのか、
この問いに答えようとしたのが日本を代表するメディア研究者、佐藤卓巳である。
「記憶」と「忘却」の作用の結果「八月一五日の神話」はできあがっていったのである。

これにさらに、1939年から8月15日に行われ続けた、
うら盆としての戦没者追悼式の全国中継放送が重なることで、
8月15日が終戦記念日として固まっていったのである。



http://blog.canpan.info/kobuna/archive/895 より抜粋
実は、これは、高校野球との関係があると「8月15日の神話」は伝えています。重なりますが、8月中旬はお盆の帰省で、多くの国民が仕事を休みますし、もちろん、政治もこの時期はほとんど動きがありまん。こうした「平和」な時期にもっとも困るのはマスコミであります。要するに記事を書くネタがないのです。そうした時に、高校野球が、大きなイベントとなっていきます。ご存じのとおり、夏の甲子園大会の主催者は「朝日新聞社」です。彼らが、夏の時期のネタとして野球大会を開催するようになった、ということなのです。ゆえに、なぜ、夏の一番熱いさなかに野球大会が開催されるかというと、まさに、暑くて多くの国民が休んでいる時期であるので、開催された、というのが真相です。

実は、極めて近い理由により「終戦の日」が決定されたらしい、と「8月15日の神話」は伝えています。要するに、記事のネタが少ないために、この8月15日を終戦に絡めてマスコミが、さまざまな報道を行ってきたのですが、こうしたマスコミが、戦争体験を語り継ぐことを夏の風物詩として取り上げ続けてきたがゆえに、国民もいつの間にか、8月15日には戦争を意識するようになったとの
ことです。



両サイト共よく読んでみると頷ける。
マスコミの本質を知らずに過信し過ぎていた国民!
サイパン陥落のときに、昭和天皇は無条件降伏をしていたら…。
尊い命が…
一寸の虫にも五分の魂

67回目の終戦記念日 2閣僚「私的」に靖国参拝へ
松原国家公安委員長と羽田国土交通大臣

堂々と靖国参拝へいてこいや!





終戦の日
9月2日とする国家
アメリカ合衆国、イギリス、フランス、カナダ、ロシアでは、9月2日を対日勝戦記念日(VJデー)と呼んでいる。
当時のアメリカ合衆国大統領トルーマンは、ポツダム宣言に調印した9月2日を「V-J Day」として宣言した。

日本政府は、8月15日を「戦没者を追悼し平和を祈念する日」とし、全国戦没者追悼式を主催している。
一般にも同日は終戦記念日や終戦の日と称され、政治団体・NPO等による平和集会が開かれる。

日本において第二次世界大戦(太平洋戦争(大東亜戦争))が終結したとされる日については諸説あり、主なものは以下のとおりである。
1.1945年(昭和20年)8月14日:日本政府が、ポツダム宣言の受諾を連合国各国に通告した日。
2.1945年(昭和20年)8月15日:玉音放送(昭和天皇による終戦の詔書の朗読放送)により、日本の降伏が国民に公表された日。
3.1945年(昭和20年)9月2日:日本政府が、ポツダム宣言の履行等を定めた降伏文書(休戦協定)に調印した日。



終戦
なぜ早く決められなかったのか

2012年8月15日(水)
午後7時30分~8時43分総合

敗戦から67年を迎える太平洋戦争。その犠牲者が急激に増加したのは、戦争末期だった。
勝敗はとっくに決していたにもかかわらず、なぜもっと早く戦争を終えることができなかったのか…

http://www.nhk.or.jp/special/detail/2012/0815/